今回、2021年までニテコサイダーの工場長を務めていた荒田にニテコサイダーの誕生秘話をインタビューしました。ニテコサイダーの歴史を知るとより味わい深くなりますよ。
それではさっそく誕生秘話を見ていきましょう。
Q1:それぞれのラインナップ誕生のきっかけ
ニテコサイダー
ニテコとはアイヌ語の「ニテイ(森林の)」と「コツ(水たまりの低地)」が時を経て「ニテコ」に変化したという説が有力です。ニテコ清水は、明治天皇にも献上したことから御前水とも言われて、紀行菅江真澄が六郷第一の名水といわれるほどの名水です。
全国的に見ても地サイダーの先駆けともいえる存在です。当時は、ニテコ清水の湧水をポンプアップし製造されていましたが、現在の工場は、同じ水脈の地下水を使用して製造されています。
1902年創業当時は、秋田県南初のサイダー工場として操業を開始しました。
創業当時は、手押し足踏み器機を使用していたと言われています。昔の写真を見る限り10人以上の人が製造に携わっていたと思われます。
ニテコサイダーの歴史は以下のとおりです。
1868年 日本初の炭酸飲料「シャンペン・サイダー」が製造された
1902年 仁手古清涼飲料が創業
「NITEKOシトロン」(現ニテコサイダーの前身)や「ラムネ」が製造される
大正時代 ニテコサイダーの他、複数のサイダー会社が創業
昭和初期 当時、飲み物があまりない時代であり、このような地サイダーが高級嗜好品として出回っていた。
1950年 仁手古清涼飲料合資会社へ組織変更
昭和中期 地サイダーの最盛期ともいえる
昭和後期 大手企業により自販機の普及に伴い徐々に地サイダーの需要が減少する
平成初期 ニテコサイダーの需要も徐々に減少し、機械の老朽化が進む
1999年 伝統ある地元の名産品であるニテコサイダーを守り続け、町の活性化に繋がるため六郷まちづくり㈱が販売事業に着手する
2003年 手づくり工房湧子ちゃん開業
六郷まちづくり㈱が製造事業にも着手する
ニテコりんごサイダー
平成18年ごろより販売を開始。
誕生当初は、秋田県の農産品の消費拡大を目指し秋田県産りんごを使用し製造販売を行っていました。しかしながら、台風等の災害により十分な収穫が年々見込まれなくなり、現在は青森県産のりんごを使用しています。全国的に見ても果汁が20%も入った炭酸飲料は珍しいです。ほのかに香るりんごの甘酸っぱさと風味が、さわやかな炭酸が特徴です。
ニテコ巨峰サイダー
平成29年3月より販売を開始。
美郷町との友好都市である長野県東御市の巨峰果汁を使用しています。長野県東御市は、全国でも有数の巨峰の産地であり標高約600~700m付近で太陽の恵みをたくさん浴びた巨峰を栽培しています。新鮮で芳醇な巨峰と澄んだ美味しい天然水のコラボレーション商品。巨峰果汁は、おりや繊維質が多く大量生産ができないため季節数量限定で製造しています。
ニテコはちみつサイダー
平成31年4月より販売開始。
田沢湖の山のはちみつ屋と開発したコラボレーション商品。試作では、はちみつ含有量1%、5%、10%と試してみました。品種はとちとアカシヤでトライし、結果的にトチを選択しました。上質な国産トチはちみつを5%使用し、柔らかな甘みとスッキリとしたはちみつ感が特徴です。はちみつは、粘性が強くフィルターの通りが悪いため大量生産には向いておりません。
ニテコ炭酸水
平成25年4月頃より販売開始。
そのまま飲んでも割材としても美味しい炭酸水として開発しました。数あるレモンフレーバーの中から、果皮の香りに近いものを選択したこだわりのフレーバーです。爽快感あふれる炭酸水に、こだわりのレモンフレーバーを加えることで口当たりの良いスッキリとした後味が特徴です。また、この商品は、日本酒をニテコ炭酸水で割るためにも開発されており、日本酒の独特な香りを柔らかく飲みやすくする割材でもあります。本来であれば、添加物を入れない炭酸水を製造したかったがサイダーと同じラインを使用するとサイダーの香りが炭酸水についてしまうため、あえてレモンの香料を加えています。
Q2:商品完成まで苦労したこと
果汁入りの炭酸飲料を作る場合、一番の問題となるのがおりや繊維質です。おりや繊維質が多く含まれる果汁は、フィルターに目詰まりが起きてしまい製造できなくなってしまうことがあります。そのため、この問題を解決するために試行錯誤をしながら試作を実施しました。実はいくつか誕生しなかったフレーバーもあります。たとえばメロンなどの試作を行ったときは、数本で目詰まりが発生し商品化にはつながりませんでした。
また、ほうれん草サイダーやトマトサイダーなど地元の野菜を使用したサイダーも研究しましたが、残念ながら野菜の調達やジュースへの加工の問題で泣く泣く断念した経緯もあります。
Q3:味のおすすめポイント
ニテコサイダーの香料ブレンドや酸味料のバランスは門外不出です。味はニテコサイダーオリジナルであるため、他のサイダーと飲み比べてもその特徴は全く異なります。ほのかに香る柑橘系がどこか懐かしさを感じ、細かく優しい炭酸は、是非子供達にも飲んでもらいたいです。
全ての商品に言えることですが水の良さを生かすためスッキリとした味に仕上げています。
個人的には、炭酸の爽快感を直接感じてもらいため、コップなどに注がず、ビンから直接口を付けて飲んでもらいたいです。
Q4:ほかに伝えたいこと
六郷まちづくり(株)が製造販売を展開した平成15年ごろは、六郷町に来てもらい購入していただけるようにと町外との取引を行っておりませんでした。平成18年ごろから全国的な地サイダーブームとなり、そのタイミングで町外、県外への出荷を開始しました。夏季繁忙期は1日3行程を実施するなど朝2:00~20:00まで稼働するケースもありました。
私は2002年(平成14年)六郷まちづくり㈱へ入社し、この頃よりサイダー事業へ携わりはじめました。翌年2003年(平成15年)湧子ちゃん内にサイダー工場が新設され、仁手古清涼飲料4代目澁谷慶一さんとサイダー製造に取り組んでました。
2013年(平成25年)7月ごろだったと思います。慶一さんが病気を患い、明日から製造ができないということに緊急事態に。しかし、その時期は夏ど真ん中の繁忙期。製造を中止することも出来なく、なんと次の日から製造を任せられることになりました。製造に携わってから10年、澁谷さんの動きや機械の操作は見て学んできたつもりではありましたが、シロップの作り方や配合、全体の流れは全くと言っていいほどわかりませんでした。病院にいる澁谷さんのもとへ行き配合を確認、機械の操作や原料を入れるタイミングなど確認しました。代々澁谷家で守り継がれてきたニテコサイダーを果たして自分が作れるのか、味が変わってしまわないか、機械の操作はできるのか、本当にサイダーになるのか、お客様の口に入る商品を責任もって作れるのか、、、と不安だらけでした。ただ、やるしかないという状況で次の日を迎えた記憶があります。
やはり不安やプレッシャーに負けそうになっていたのも事実で毎朝、製造を開始する前にニテコ神社にお参りするのが日課となりました。まさに苦しい時の神頼みです。2工程やるときには3時に工場に行き製造を開始していました。不安やプレッシャーもあれば辛いところもありましたが、やはり守り継がなければならないブランドであり、そう考えるとそれ以上にやりがいを感じるようになりました。まだまだ、澁谷さんの足元にも及ばないとは思いますが、ニテコサイダーの製造は自分を大きく成長させてくれたと思います。今年で120年を迎えたニテコサイダー。これから何年何十年先も変わらぬサイダーであってほしいと願います。